混浴。それは男の夢。もちろん、そんなところに行ったところで、基本若い女性はいないだろう。
しかし、それでもその夢を追い求めるのが男という生き物なのである。
今や滅びたと言っていいこの混浴。前記事では恥じらわない女子たちを描きましたが、今回は普通に恥じらう女子たちです。
キャッキャウフフの輪の中に突然やってきたキモ男の俺。当然みんな騒ぎ立てるわけですが、隠す前の一瞬にこそ美学があります。
確信的ラッキースケベの瞬間をお楽しみください。
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編集後記
今回は温泉女子たちの第二弾でした。前回の記事では恥ずかしがらない、恥ずかしくても少しはにかむ程度でしたが、今回は全力で恥ずかしがってもらいました。
さて、歴史を紐解いてみると、恥ずかしい、恥ずかしくない、というのは正直よくわからなくなります。着物の裾がはだけてちょっと足が見えているだけでも恥ずかしかったり、一方では混浴なんて文化があったり。江戸時代などは幕府が禁止したにもかかわらず、禁止した瞬間は男女別にするものの、だんだんとまた男女混合になって行ったり。だからと言って男がそれに興奮しなかったわけではなく、綺麗な子が銭湯に来たので男たちが群がって入りに来た、みたいな俳句があったりもします。
その辺りの精神性、物の考え方はたかが数百年前の話ですが、今を基準に考えるとどうにもわからなくなります。そういう精神性を理解することことこそが歴史学の本来の楽しみ方なのかもしれません。