性行為実習シリーズの続きです。もはや第何弾か数えるのが面倒になってきたので、日付をタイトルに入れることにしました。少子化対策の最後の手段として決まったのは「性行為実習」。隣に座った人とは必ずやらなければならない。もちろん、できちゃった時には国から手厚い保護が….。まずは服を着たままで挨拶。上から順に脱いでいく。途中おっぱいを隠してみたり恥じらいながらぷるんと解放したり、男を興奮させる技術も身にいつけつつ、最後は二人で一緒にGO!な感じの実習です。
黒髪ぱっつん女子と!












元気系女子と!











ツインテール女子と!










ボーイッシュなメガネ女子と!










金髪のお嬢様と!









関連記事
編集後記
さて、昨今、「多様性」という言葉がもはや水戸黄門の印籠の如く大正義として語られております。性行為実習でとにかく相手を選ばずに子孫を残すというのは多様性という意味では大正義かもしれません。タイトルは忘れちゃいましたが、以前ハリウッド映画で、地上は美男美女だらけになって、多様性が失われてしまい、地下に追いやられた出来損ないが重宝される時代を描いた映画がありました。相手を選り好みばかりしていると最終的にはそういうことになるでしょう。
ですが、おそらくこの多様性という言葉はあと20年もすれば忘れ去られるのではないかと思うのであります。なぜなら、おそらくダーウィンの「種の起源」に端を発するであろう多様性という概念、よくよく考えてみてください。違ったものをお互いに認め合うなんて優しいものじゃありません。色々多様になっておけば地球壊滅の危機が起きたとしても生き残る生物がいる、というお話です。詰まるところ多様性とは、ほとんど絶滅してしまって、誰か数人が生き残るようなディストピア的なお話なのです。それをさも大正義の如く語る世の中が正直滑稽でなりません。