サッカー部の連中がキャーキャー言われて、バスケ部連中が涙目でバスケがしたいです、とか言っている一方で、我々美術部員たちは火の当たらないところで絵を描いております。そして、人物デッサンの基本といえば当然ながらヌードデッサンであり、ヌードモデルが必要となります。そして学校にはヌードモデルを雇う予算など存在しないわけで。
サッカー部はスパイクを自分で用意する。バスケ部だってバッシュは自分で用意する。ならば美術部だってヌードモデルを自分たちの中から選出するのは、ごくごく自然なことかもしれません。
恥じらうヌードモデル
思い切っておっぱい曝け出すヌードモデル
生まれたままの姿になったヌードモデル
営みを演出するヌードモデル
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編集後記
そもそも、エロ画像だって十分にヌケるのに、なぜエロ漫画という存在があるのか。それはひとえに人間のものの考え方に由来します。世界はとっても複雑で、例えば昨今のウクライナ戦争一つとっても、ウクライナ側の視点、ロシア側の視点、NATOの視点、国境を接する日本の視点など、さまざまな見方がありますが、その全てを包括的に捉えることは非常に難しいです。物事というのは概して人間の脳ではなんともならないくらい複雑なわけですが、それを人間は物語として理解する、つまりわかりやすいストーリーを基準に情報を圧縮することでとらえてきました。そのため、ただ単に裸を見せられても、本能的に興奮することはできますが、その裏にあるストーリーをどうしても求めてしまうのです。
特にラッキースケベネタが大好きマンがよくいう「必然性」ですね。ただ服を脱いでいるのではなく、そこで脱がなければならない必然性に男どもは興奮するわけです。まぁ多少無理があっても物語として成立すればいいわけで、そういう視点でこのヌードモデルは個人的には好きなシリーズであります。